【災害名】

三宅島(みやけじま)の噴火

【時期】

2000年6月26日18:30過ぎ

【概要】

6月26日18:30過ぎから三宅島直下で激しい群発地震が始まった。この活動は1983年の噴火直前と酷似しているとして、19:33に気象庁は噴火の恐れが高いと判断し「緊急火山情報」を出した。 翌27日朝までに坪田・三池・阿古・伊ヶ谷地区の住民が島の北部に避難したが、群発地震の震源は島の北西の海底へ移動。 6月27日9:00頃に島の阿古地区の西方沖約1kmで海面変色が海上保安庁により確認されるにとどまった。

【被害状況】

地震活動は沈静化することなく、三宅島西方海域から西北西に移動し、神津島近海に達する。7月1日16:00過ぎ、一連の群発地震で最大となるM6.5の地震が神津島近海で発生、神津島では震度6弱を記録し、死者1人、負傷者15人を出した。 噴火の関心は神津島近海海底に集まるが海底噴火は沈静化し、一方で7月に入ると雄山火口直下の地震が7月4日から再び活発化した。 7月8日18:41に雄山で小規模な水蒸気爆発が発生、灰色の少量の噴煙が島の東側に流れ、赤色の火山灰が降下した。この噴火で雄山の山頂が陥没して直径約800mの巨大な陥没火口(カルデラ)ができていることが翌7月9日朝になってから確認された。 これは三宅島でおよそ2,500年前の八丁原カルデラ以来のカルデラ形成となった。 その後も陥没は進み、カルデラは直径1.6km、カルデラ縁からの深さは500mにも達した。 7月14日、15日には再び水蒸気爆発が起こり、島内に大量の火山灰が降下した。 8月10日の朝6:30頃、山頂の陥没口からついにマグマ水蒸気爆発とみられる噴火が発生、黒色の噴煙は上空6,000m以上に達した。 その後の爆発は激しさを増してゆき、8月18日の大規模噴火では噴石を伴う噴煙が上空15,000mに達し、小規模な火砕サージ、水蒸気が上空に達したことによる局地的な驟雨も発生し火山弾は住宅地にも落下した。 8月29日早朝の午前5:00過ぎの大規模噴火では低温の火砕流が発生して火口の北北東にある神着地区、美茂井地区などを流下して海岸に達した。 この低温火砕流に住民が数名飲み込まれたが、低温のため死傷者は出なかった。 この噴火では6:00過ぎに反対側の南西方向にある村営牧場にも火砕流が到達し、更に雨による泥流も頻発した。 小規模な噴火はその後も断続的に発生する。この間の噴出物の総量は約1,100万m3と推定されており、御蔵島だけでなく100km以上離れている八丈島でも降灰が確認されている。

【特記事項】

火山の噴火活動は18日のものをピークに収束していくが、カルデラに大きな火道が開いたことにより今度は大量の火山ガスの放出という噴気活動が始まった。 8月中旬から三宅島から離れた関東地方でも刺激臭がするという報告が入るようになるが、9月に入ってからはさらに二酸化硫黄の放出が増加し、東京都は住民の全島避難を決定した。 火山ガスの放出は多い日で1日あたり5万トンにも達した。この火山ガスの放出量は世界でも類を見ない。 火山ガスの放出は2004年7月20日に観測されたのを最後に1日あたり1万トンを下まわるようになり、翌年2月には全島避難が解除された。 しかしその後も火山ガスの放出は継続し、2011年の半ばになってほぼ1日あたり1000トンを下回った。 2013年1月22日を最後に噴火活動は認められていない。 ガスの放出も2016年夏以降は1日あたり数十トン以下の状態が続いている。