【災害名】
平成30年7月豪雨(へいせい30ねん7がつごうう)
【時期】
2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて
【概要】
6月29日に発生した台風7号は、太平洋高気圧の外側を回り込むように7月4日にかけて東シナ海を北上し、九州地方では台風の影響による雨が7月3日ごろから降り続いた。台風は対馬海峡付近で進路を北東に変えて日本海上に抜けたが、太平洋高気圧が張り出した影響で梅雨前線が7月2日から4日頃に北海道に停滞し、北海道の広範囲で雨量が7月の月降水量の平年値を超えた。その後、太平洋高気圧が南東に移動したことで梅雨前線が南下。7月5日から8日にかけて梅雨前線が西日本付近に停滞し、そこに大量の湿った空気が流れ込んだため、西日本から東海にかけて大雨が連日続いた。
【被害状況】
広島県法面が崩落した国道2号西条バイパス(広島県東広島市)広島県では、土砂崩れや浸水による被害が相次いだ。県の南部では土石流・土砂崩れが5,000箇所以上で発生(16日)。通常は崩落しにくい山頂部の崩壊も多発し、豪雨の凄まじさを裏付けた。県の住宅被害は浸水も含めると19日までに、38,000棟に及んでいる。安芸郡熊野町川角では、住宅の裏山が崩れて斜面沿いの住宅に押し寄せ、12人が死亡した。
広島市では、23人が死亡、2人が行方不明となっている。安芸区矢野東では、土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊ほか、矢野川では土石流により死者も出た。安佐北区でも土砂崩れにより3人が死亡したほか、東区馬木でも土砂災害が発生し、1人が死亡した。安芸郡坂町小屋浦地区の天地川では土石流が砂防ダムを破壊し、大量の土砂が住宅を襲い15人が死亡、1人が行方不明。また坂町中心部の坂駅付近が冠水した。
呉市では土砂崩れなどにより24人が死亡。呉市と広島市や東広島市がつながる道路が寸断され、JR呉線も不通となったため、孤立状態となり、呉港と広島港を結ぶ海路の利用が増えた。安浦町では約58haにわたって浸水し、760戸の住宅で被害が出た。東広島市河内町で、土石流が砂防ダムを超えて集落を襲った。同市西条町下三永では裏山が崩れて住宅が数十メートル流された。同市安芸津町木谷でも住宅が土砂に埋まった。三原市では土砂崩れで住宅が押し潰されたほか、本郷町で沼田川とその支流が氾濫し約700ヘクタールが浸水するなど8人が死亡した。竹原市では東野町と新庄町、港町の土砂崩れなど6人が死亡、4人が負傷した。市内を流れる賀茂川の氾濫もあり全壊35件、建物床上浸水35件、床下浸水232件の被害が出た。福山市では駅家町で農業用ため池が決壊し土砂崩れに巻き込まれるなど2人が死亡した。芦田川や手城川の支流では内水氾濫が発生したとみられ、市内の約20平方キロメートルが浸水した。安芸郡府中町では晴天下の10日11時頃、榎川が氾濫し町内の10ヘクタールが浸水した。
岡山県小田川決壊現場。自動車が決壊箇所に落ち込んでいる。岡山県では河川の氾濫や堤防の決壊による浸水、土砂災害が相次いだ。全半壊・浸水家屋の数は19日時点で少なくとも14,000棟にのぼり、県内の風水害による被害としては戦後最悪となった。
倉敷市の被害倉敷市真備町では7日朝までに小田川と支流の高馬川などの堤防が決壊し、広範囲が冠水。土木学会の調査によると、浸水の深さは南北1km・東西3.5kmの範囲で5メートルを超え、最大で5.4メートルに達したとみられる。浸水範囲は真備町の4分の1にあたる1,200ヘクタールに及んだ。国の調査委員会の見解によると、小田川では合流先の高梁川の増水に伴い水がせき止められるバックウォーター現象が発生し、越水により堤防の外側が削られ決壊したとみられる。真備町における堤防の決壊箇所は小田川で2箇所、支流の高馬川で2箇所、末政川で3箇所、真谷川で1箇所が確認され、小田川では他にも6箇所で法面の崩落が確認されている。
倉敷市を除く県内各地の被害岡山市では河川の氾濫などによる浸水家屋の数が7,645棟に上ったほか、土砂災害も相次いだ。東区沼では7日未明に旭川水系の砂川の堤防が決壊し、平島地区付近一帯の住宅2,230棟が浸水した。岡山県の調査によると平島地区の浸水範囲は約750ヘクタール、浸水の深さは最大約1.5メートルに達したとみられる。笠岡市茂平では7日朝、自動車部品会社の工場の裏山が崩れて土砂が流れ込み、6人が巻き込まれ2人が死亡。このほか笠岡市内で1人が死亡し、笠岡市北部の北川地区などで約380棟が浸水した。井原市では小田川の支流が決壊するなど市内で約300棟が浸水し、2人が死亡。小田郡矢掛町でも小田川の本流と支流が決壊し約600棟が浸水した。総社市内では昭和地区などの浸水と同市下原のアルミ工場爆発事故が重なり、被災家屋は968棟に上った。高梁市落合町でも6日夜に冠水が発生し、コンビニや老人ホームでは水から逃れようと利用者等が上階や屋根に登るなどして救助を待った。山陰地方島根県の江の川流域で200棟以上が床上浸水した。島根県は11日、江津市、川本町、美郷町に職員を派遣し、復旧などを手伝った。また川本町では浄水場の冠水により280戸が断水状態となった。
四国地方愛媛県では、西予市野村町で7日朝、野村ダムが満水に近づいたため緊急放流を行なったところ肱川が氾濫し、逃げ遅れた5人が死亡した。西予市によると、7日5時10分に防災行政無線で住民に避難指示を周知したという。国土交通省四国地方整備局によると、6時20分からダムへの流入量と同じ量の放出を開始し、6時20分時点で毎秒439立方メートルで放流していたのが7時50分には毎秒1797立方メートルに達した。またその下流にある鹿野川ダムでも、7時35分から流入量とほぼ同じ水量を放流する措置を取り、大洲市で川が氾濫した。大洲市では8日、概算で4600世帯の家屋浸水に及ぶ見通しを示し、二宮隆久市長は「今回の被災はかなり大きい」と述べ、平成以降最大規模との認識を強調した。宇和島市吉田町では7日、多数の土砂崩れが発生し11人が死亡し。松山市の怒和島では7日0時50分頃、住宅の裏山が崩れて1棟が倒壊し、3人が死亡した。
高知県では、香南市で6日朝、1人が香宗川で流され西に約100キロ離れた四万十市の海岸で遺体で発見された。大月町では2人が亡くなり、県内で計3人が死亡した。 安芸市では、6日未明に市内を流れる安芸川が栃ノ木地区で氾濫し、川沿いの東地の集落では約10棟が浸水被害に遭い、21人が一時孤立した。
九州地方・山口県山口県では7日までに、岩国市周東町で家の中に土砂が入り1人が死亡、また土石流に家ごと流されて1人が死亡、同県周南市では土砂で家が倒壊し1人が死亡。
福岡県では、6日朝に北九州市門司区で崖崩れが発生し住宅が全壊し2人が死亡。また7日までに、同県糟屋郡宇美町在住の1人が山中にあった老健介護施設から避難中に土石流に巻き込まれ死亡、筑紫野市原田の水路で発見された。6日には、北九州市小倉北区の板櫃川や久留米市北野町の大刀洗川など複数の河川が氾濫し、うち久留米市では広範囲が浸水、7日までに約1000棟(うち久留米市北野町地区で約500棟)が浸水被害を受け、ボートによる救助活動が行われた。北九州市では9日までに土砂崩れなどにより約680棟が被害を受けた。
佐賀県では12日までに、佐賀市大和町で嘉瀬川に流された1人が死亡、伊万里市で1人が死亡した。伊万里市の1人は長崎県松浦市の海岸まで約6km流され発見された。宮崎県では12日までに、1人の遺体が発見され、豪雨との関連を調べている。
近畿地方兵庫県の猪名川町で5日、物流センターの工事現場で作業員3人が排水管に流され、うち1人が死亡し2人が重傷を負った。宍粟市では土砂崩れにより住宅が押しつぶされ1人が死亡した。丹波市では市内各地で浸水被害が多発した。
京都府では、綾部市で土砂崩れで住宅が倒壊し3人が亡くなった。亀岡市では、川に車が流され1人が死亡。舞鶴市では自宅で土砂の除去作業中に行方不明になった男性が舞鶴湾で遺体で見つかった。福知山市大江町公庄では9日、土砂崩れにより谷河川がせき止められて天然ダムができていることが分かった。府内では舞鶴市や福知山市など、計2000棟以上で浸水被害が出た。舞鶴市の由良川流域では雨水などの内水が由良川へ流せずに浸水被害が発生。道路の冠水により舞鶴市加佐地域全域の1828世帯が一時孤立した。また道路の寸断も相次ぎ、伊根町全域が孤立したほか、6市町13地区が孤立状態となった。
中部地方岐阜県でも、関市をはじめ郡上市、下呂市などの中山間部で降り始めからの雨量が1000ミリを超える地点もあり、各地で土砂流出や道路の冠水、河川の護岸崩壊などの被害が相次いだ。関市では8日未明に津保川が氾濫、東部の旧上之保村・武儀町域を中心に225棟が床上浸水、270棟が床下浸水した。また用水路に車が横転し男性が死亡した。郡上市でも和良町の和良川沿いに建つ和良振興事務所周辺では、護岸が幅約200メートルにわたり崩れた。また下呂市でも6世帯15人が孤立。関市を中心に岐阜県内のJR高山線や東海北陸自動車道、中部縦貫自動車道などが寸断された。長野県では8日朝に王滝村で王滝川が増水し、幅約5メートルの村道が60メートルに渡り崩落した。
北海道北海道では堤防の決壊や内水氾濫に伴う床上・床下浸水、崖崩れ等の被害が出た。旭川市でぺーパン川が2回氾濫したほか、旭川市と深川市で石狩川が、沼田町と深川市で雨竜川が3日、氾濫した。オホーツク管内遠軽町では湧別川にかかる「いわね大橋」で橋脚に異常が発生し橋が折れ、上川管内東川町の天人峡温泉では道道の一部崩落で3日から宿泊客等130人が孤立。旭川市を中心に道内で132棟の建物に被害が出た。
【特記事項】
この豪雨により、西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数が200人を超える甚大な災害となった。また、全国で上水道や通信といったライフラインに被害が及んだほか、交通障害が広域的に発生している。平成に入ってからの豪雨災害としては初めて死者数が100人を超え、「平成最悪の水害」と報道された。さらに、昭和にさかのぼっても1982年に300人近い死者・行方不明者を出した長崎大水害(昭和57年7月豪雨)以降、最悪の被害となった。