2018年7月 豪雨

【災害名】 平成30年7月豪雨(へいせい30ねん7がつごうう) 【時期】 2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて 【概要】 6月29日に発生した台風7号は、太平洋高気圧の外側を回り込むように7月4日にかけて東シナ海を北上し、九州地方では台風の影響による雨が7月3日ごろから降り続いた。台風は対馬海峡付近で進路を北東に変えて日本海上に抜けたが、太平洋高気圧が張り出した影響で梅雨前線が7月2日から4日頃に北海道に停滞し、北海道の広範囲で雨量が7月の月降水量の平年値を超えた。その後、太平洋高気圧が南東に移動したことで梅雨前線が南下。7月5日から8日にかけて梅雨前線が西日本付近に停滞し、そこに大量の湿った空気が流れ込んだため、西日本から東海にかけて大雨が連日続いた。 【被害状況】 広島県法面が崩落した国道2号西条バイパス(広島県東広島市)広島県では、土砂崩れや浸水による被害が相次いだ。県の南部では土石流・土砂崩れが5,000箇所以上で発生(16日)。通常は崩落しにくい山頂部の崩壊も多発し、豪雨の凄まじさを裏付けた。県の住宅被害は浸水も含めると19日までに、38,000棟に及んでいる。安芸郡熊野町川角では、住宅の裏山が崩れて斜面沿いの住宅に押し寄せ、12人が死亡した。 広島市では、23人が死亡、2人が行方不明となっている。安芸区矢野東では、土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊ほか、矢野川では土石流により死者も出た。安佐北区でも土砂崩れにより3人が死亡したほか、東区馬木でも土砂災害が発生し、1人が死亡した。安芸郡坂町小屋浦地区の天地川では土石流が砂防ダムを破壊し、大量の土砂が住宅を襲い15人が死亡、1人が行方不明。また坂町中心部の坂駅付近が冠水した。 呉市では土砂崩れなどにより24人が死亡。呉市と広島市や東広島市がつながる道路が寸断され、JR呉線も不通となったため、孤立状態となり、呉港と広島港を結ぶ海路の利用が増えた。安浦町では約58haにわたって浸水し、760戸の住宅で被害が出た。東広島市河内町で、土石流が砂防ダムを超えて集落を襲った。同市西条町下三永では裏山が崩れて住宅が数十メートル流された。同市安芸津町木谷でも住宅が土砂に埋まった。三原市では土砂崩れで住宅が押し潰されたほか、本郷町で沼田川とその支流が氾濫し約700ヘクタールが浸水するなど8人が死亡した。竹原市では東野町と新庄町、港町の土砂崩れなど6人が死亡、4人が負傷した。市内を流れる賀茂川の氾濫もあり全壊35件、建物床上浸水35件、床下浸水232件の被害が出た。福山市では駅家町で農業用ため池が決壊し土砂崩れに巻き込まれるなど2人が死亡した。芦田川や手城川の支流では内水氾濫が発生したとみられ、市内の約20平方キロメートルが浸水した。安芸郡府中町では晴天下の10日11時頃、榎川が氾濫し町内の10ヘクタールが浸水した。 岡山県小田川決壊現場。自動車が決壊箇所に落ち込んでいる。岡山県では河川の氾濫や堤防の決壊による浸水、土砂災害が相次いだ。全半壊・浸水家屋の数は19日時点で少なくとも14,000棟にのぼり、県内の風水害による被害としては戦後最悪となった。 倉敷市の被害倉敷市真備町では7日朝までに小田川と支流の高馬川などの堤防が決壊し、広範囲が冠水。土木学会の調査によると、浸水の深さは南北1km・東西3.5kmの範囲で5メートルを超え、最大で5.4メートルに達したとみられる。浸水範囲は真備町の4分の1にあたる1,200ヘクタールに及んだ。国の調査委員会の見解によると、小田川では合流先の高梁川の増水に伴い水がせき止められるバックウォーター現象が発生し、越水により堤防の外側が削られ決壊したとみられる。真備町における堤防の決壊箇所は小田川で2箇所、支流の高馬川で2箇所、末政川で3箇所、真谷川で1箇所が確認され、小田川では他にも6箇所で法面の崩落が確認されている。 倉敷市を除く県内各地の被害岡山市では河川の氾濫などによる浸水家屋の数が7,645棟に上ったほか、土砂災害も相次いだ。東区沼では7日未明に旭川水系の砂川の堤防が決壊し、平島地区付近一帯の住宅2,230棟が浸水した。岡山県の調査によると平島地区の浸水範囲は約750ヘクタール、浸水の深さは最大約1.5メートルに達したとみられる。笠岡市茂平では7日朝、自動車部品会社の工場の裏山が崩れて土砂が流れ込み、6人が巻き込まれ2人が死亡。このほか笠岡市内で1人が死亡し、笠岡市北部の北川地区などで約380棟が浸水した。井原市では小田川の支流が決壊するなど市内で約300棟が浸水し、2人が死亡。小田郡矢掛町でも小田川の本流と支流が決壊し約600棟が浸水した。総社市内では昭和地区などの浸水と同市下原のアルミ工場爆発事故が重なり、被災家屋は968棟に上った。高梁市落合町でも6日夜に冠水が発生し、コンビニや老人ホームでは水から逃れようと利用者等が上階や屋根に登るなどして救助を待った。山陰地方島根県の江の川流域で200棟以上が床上浸水した。島根県は11日、江津市、川本町、美郷町に職員を派遣し、復旧などを手伝った。また川本町では浄水場の冠水により280戸が断水状態となった。 四国地方愛媛県では、西予市野村町で7日朝、野村ダムが満水に近づいたため緊急放流を行なったところ肱川が氾濫し、逃げ遅れた5人が死亡した。西予市によると、7日5時10分に防災行政無線で住民に避難指示を周知したという。国土交通省四国地方整備局によると、6時20分からダムへの流入量と同じ量の放出を開始し、6時20分時点で毎秒439立方メートルで放流していたのが7時50分には毎秒1797立方メートルに達した。またその下流にある鹿野川ダムでも、7時35分から流入量とほぼ同じ水量を放流する措置を取り、大洲市で川が氾濫した。大洲市では8日、概算で4600世帯の家屋浸水に及ぶ見通しを示し、二宮隆久市長は「今回の被災はかなり大きい」と述べ、平成以降最大規模との認識を強調した。宇和島市吉田町では7日、多数の土砂崩れが発生し11人が死亡し。松山市の怒和島では7日0時50分頃、住宅の裏山が崩れて1棟が倒壊し、3人が死亡した。 高知県では、香南市で6日朝、1人が香宗川で流され西に約100キロ離れた四万十市の海岸で遺体で発見された。大月町では2人が亡くなり、県内で計3人が死亡した。 安芸市では、6日未明に市内を流れる安芸川が栃ノ木地区で氾濫し、川沿いの東地の集落では約10棟が浸水被害に遭い、21人が一時孤立した。 九州地方・山口県山口県では7日までに、岩国市周東町で家の中に土砂が入り1人が死亡、また土石流に家ごと流されて1人が死亡、同県周南市では土砂で家が倒壊し1人が死亡。 福岡県では、6日朝に北九州市門司区で崖崩れが発生し住宅が全壊し2人が死亡。また7日までに、同県糟屋郡宇美町在住の1人が山中にあった老健介護施設から避難中に土石流に巻き込まれ死亡、筑紫野市原田の水路で発見された。6日には、北九州市小倉北区の板櫃川や久留米市北野町の大刀洗川など複数の河川が氾濫し、うち久留米市では広範囲が浸水、7日までに約1000棟(うち久留米市北野町地区で約500棟)が浸水被害を受け、ボートによる救助活動が行われた。北九州市では9日までに土砂崩れなどにより約680棟が被害を受けた。 佐賀県では12日までに、佐賀市大和町で嘉瀬川に流された1人が死亡、伊万里市で1人が死亡した。伊万里市の1人は長崎県松浦市の海岸まで約6km流され発見された。宮崎県では12日までに、1人の遺体が発見され、豪雨との関連を調べている。 近畿地方兵庫県の猪名川町で5日、物流センターの工事現場で作業員3人が排水管に流され、うち1人が死亡し2人が重傷を負った。宍粟市では土砂崩れにより住宅が押しつぶされ1人が死亡した。丹波市では市内各地で浸水被害が多発した。 京都府では、綾部市で土砂崩れで住宅が倒壊し3人が亡くなった。亀岡市では、川に車が流され1人が死亡。舞鶴市では自宅で土砂の除去作業中に行方不明になった男性が舞鶴湾で遺体で見つかった。福知山市大江町公庄では9日、土砂崩れにより谷河川がせき止められて天然ダムができていることが分かった。府内では舞鶴市や福知山市など、計2000棟以上で浸水被害が出た。舞鶴市の由良川流域では雨水などの内水が由良川へ流せずに浸水被害が発生。道路の冠水により舞鶴市加佐地域全域の1828世帯が一時孤立した。また道路の寸断も相次ぎ、伊根町全域が孤立したほか、6市町13地区が孤立状態となった。 中部地方岐阜県でも、関市をはじめ郡上市、下呂市などの中山間部で降り始めからの雨量が1000ミリを超える地点もあり、各地で土砂流出や道路の冠水、河川の護岸崩壊などの被害が相次いだ。関市では8日未明に津保川が氾濫、東部の旧上之保村・武儀町域を中心に225棟が床上浸水、270棟が床下浸水した。また用水路に車が横転し男性が死亡した。郡上市でも和良町の和良川沿いに建つ和良振興事務所周辺では、護岸が幅約200メートルにわたり崩れた。また下呂市でも6世帯15人が孤立。関市を中心に岐阜県内のJR高山線や東海北陸自動車道、中部縦貫自動車道などが寸断された。長野県では8日朝に王滝村で王滝川が増水し、幅約5メートルの村道が60メートルに渡り崩落した。 北海道北海道では堤防の決壊や内水氾濫に伴う床上・床下浸水、崖崩れ等の被害が出た。旭川市でぺーパン川が2回氾濫したほか、旭川市と深川市で石狩川が、沼田町と深川市で雨竜川が3日、氾濫した。オホーツク管内遠軽町では湧別川にかかる「いわね大橋」で橋脚に異常が発生し橋が折れ、上川管内東川町の天人峡温泉では道道の一部崩落で3日から宿泊客等130人が孤立。旭川市を中心に道内で132棟の建物に被害が出た。 【特記事項】 この豪雨により、西日本を中心に多くの地域で河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数が200人を超える甚大な災害となった。また、全国で上水道や通信といったライフラインに被害が及んだほか、交通障害が広域的に発生している。平成に入ってからの豪雨災害としては初めて死者数が100人を超え、「平成最悪の水害」と報道された。さらに、昭和にさかのぼっても1982年に300人近い死者・行方不明者を出した長崎大水害(昭和57年7月豪雨)以降、最悪の被害となった。

2018年6月~8月 猛暑

【災害名】 2018年の猛暑(2018ねんのもうしょ) 【時期】 2018年(平成30年)の6~8月にかけて 【概要】 2018年の猛暑(2018ねんのもうしょ)は、2018年(平成30年)の夏に日本の東日本・西日本を襲った記録的な高温(猛暑)。夏(6-8月)の平均気温は、東日本(関東甲信・東海・北陸)で平年比+1.7℃となり、1946年の統計開始以降、最も高くなった。西日本でも平年比+1.1℃で、統計開始以降第2位だった 【被害状況】 日最高気温(全国歴代20位以内)•41.1℃ - 埼玉県熊谷市 (全国歴代1位・7月23日)•41.0℃ - 岐阜県下呂市金山 (同2位・8月6日)•41.0℃ - 岐阜県美濃市 (同2位・8月8日)•40.8℃ - 東京都青梅市 (同6位・7月23日)•40.8℃ - 新潟県胎内市中条 (同6位・8月23日)•40.4℃ - 新潟県三条市 (同13位・8月23日)•40.3℃ - 愛知県名古屋市 (同15位・8月3日)※順位は当時のもの。連続猛暑日•20日間連続 - 福岡県久留米市 (7月9日から7月28日)•16日間連続 - 広島県安芸太田町加計 (7月12日から7月27日)期間ごとの記録•7月 - 月平均気温の最高値を47地点で更新、6地点でタイ記録となった。月降水量の最低値を1地点で、月間日照時間の最高値を5地点で、最低値を1地点で更新した。日最高気温が91地点で記録更新され、17地点でタイ記録となった。 【特記事項】 気象庁の8月10日時点での分析によると、7月中旬以降の記録的な高温の要因は、太平洋高気圧とチベット高気圧がともに日本付近に張り出し続けたことにあり、これによって安定した晴天が続いて気温が上がった。これらの高気圧が日本に張り出したのには、亜熱帯ジェット気流が北に大きく蛇行し続けたことと、フィリピン付近での積雲対流活動が盛んだったことが影響したという。

2018年6月 大阪北部地震

【災害名】 大阪府北部地震(おおさかふほくぶじしん) 【時期】 2018年(平成30年)6月18日7時58分39秒 【概要】 大阪府北部地震(おおさかふほくぶじしん)は、2018年(平成30年)6月18日7時58分39秒に、日本の大阪府北部を震源として発生した地震。地震の規模はMj6.1で、震源の深さは13キロメートル (km)(ともに暫定値)。最大震度6弱を大阪府大阪市北区・高槻市・枚方市・茨木市・箕面市の5市区で観測した。公的機関では「大阪府北部を震源とする地震」や「大阪府北部の地震」などと呼称されている。報道機関等では「大阪北部地震」、「大阪地震」とも表記している。 【被害状況】 2019年8月20日までの総務省消防庁の集計によると、大阪府内で死者6名、2府5県で負傷者462名(うち重傷者62名)、住家の全壊21棟・半壊483棟・一部破損6万1266棟・床上浸水3棟・床下浸水3棟、火災は大阪府と兵庫県で7件確認されている。死者は高槻市および茨木市、大阪市、箕面市で発生している。このうち箕面市の1名は、地震で持病が悪化して地震当日に亡くなったもので、災害関連死に認定されている。地震保険の支払額は10月11日時点で946億円を超え、東日本大震災、平成28年熊本地震に次いで第3位となった。 震度5弱以上が観測された気象庁の発表地点震度6弱大阪府 大阪北区茶屋町・高槻市立第2中学校・枚方市大垣内・茨木市東中条町・箕面市粟生外院震度5強大阪府 大阪都島区都島本通・大阪東淀川区北江口・大阪旭区大宮・大阪淀川区木川東・豊中市曽根南町・豊中市役所・吹田市内本町・高槻市桃園町・高槻市消防本部・寝屋川市役所・箕面市箕面・摂津市三島・交野市私部・島本町若山台京都府 京都中京区河原町御池・京都伏見区向島・京都伏見区久我・京都西京区大枝・亀岡市余部町・長岡京市開田・八幡市八幡・大山崎町円明寺・久御山町田井震度5弱大阪府 大阪福島区福島・大阪此花区春日出北・大阪港区築港・大阪西淀川区千舟・大阪東淀川区柴島・大阪生野区舎利寺・大阪国際空港・池田市城南・守口市京阪本通・大東市新町・四條畷市中野・豊能町余野・能勢町役場京都府 京都伏見区竹田・京都伏見区醍醐・京都伏見区淀・京都西京区樫原・宇治市宇治琵琶・宇治市折居台・亀岡市安町・城陽市寺田・向日市寺戸町・京田辺市田辺・井手町井手・精華町南稲八妻・南丹市八木町八木滋賀県 大津市南郷兵庫県 尼崎市昭和通・西宮市宮前町・西宮市平木・伊丹市千僧・川西市中央町奈良県 大和郡山市北郡山町・御所市役所・高取町観覚寺・広陵町南郷 【特記事項】 地震当日に時事通信などマスメディア各社は「気象庁が1923年(大正12年)に観測を開始して以来、大阪府で震度6弱以上の揺れを観測したのは初めて」と報道した。しかし、この間に震度の観測法や観測点の密度は大きく変わっており、過去の地震で観測された震度などの情報と本地震を単純に比較することはできない。また、気象庁震度階級が大きく変わる契機となった1995年の兵庫県南部地震では、気象庁の現地調査により大阪府の一部地域(大阪市西淀川区佃・豊中市庄本町・池田市住吉)が震度6であったと判定されている。なお、大阪府内で震度5弱以上の揺れを観測したのは、この5年前に淡路島で起きた地震以来のことであった。

1716年~2018年3月 新燃岳の噴火

【災害名】 新燃岳の噴火(しんもえだけのふんか) 【時期】 1716年~2018年3月7日 【概要】 霧島山最高峰である韓国岳と霧島山東部に聳える霊峰高千穂峰の中間付近に位置し、獅子戸岳と中岳の間に割り込むようにして聳えるなだらかな円錐台形の火山であり、山頂に直径750mの円形火口を有する。 火口底には平成噴火前まで直径150メートル (m)、水深30mの青緑色を呈する火口湖の新燃池が存在していた。地質は輝石安山岩からなる基盤山体の上に火砕丘が重なった構造となっている。 平成噴火前まで高千穂河原から中岳を経由した登山道が整備され、山頂付近の植生はススキを中心とした草原となっており、所々に低木のミヤマキリシマ群生地が散在していた。 当時も火山活動によってしばしば登山禁止の措置がとられる。 【被害状況】 享保噴火 1716 - 1717年の一連の噴火活動は水蒸気爆発に始まりマグマ水蒸気爆発からマグマ噴火へと変化し断続的に約1年半続いた。火砕物降下によるマグマ噴出量は0.07DREkm3。火山爆発指数:VEI4 享保年間の活動は、第1期(1716年4月10日,5月7日)、第2期(9月26日)、第3期(11月9日)、第4期(12月)、第5期(1717年2月)、第6期(3月から4月)、第7期(9月6日)の7期に分けられる。 この一連の活動では第3期において最大の人的経済的被害を生じ、死者5名、負傷者31名、神社・仏閣焼失、焼失家屋600余軒、牛馬405頭死などの記録が残っている。 文政噴火 1822年1月12日(文政4年12月20日)朝、山頂付近に白煙が観察され、夕方に水蒸気爆発を伴って噴火した。14日(22日)には南方を流れる天降川で火山泥流が発生している。 8合目付近に新しい4カ所の火口が形成され、軽石や火砕流の噴出を伴う噴火が繰り返された。 昭和噴火 1959年(昭和34年)、中規模噴火。火山爆発指数:VEI2。 2月13日、降灰を伴う小規模な水蒸気噴火があった。噴火に先立つ前兆現象は観測されていない。小規模爆発の後、14:50に爆発的噴火が発生。 2月17日14時50分、爆発音と空振を伴って噴火が始まり、黒色の噴煙が上空4,000mに達した。その後数日間にわたって噴火を繰り返した後、次第に終息していった。 噴出物にマグマの成分を含まない水蒸気爆発であり、噴火のエネルギーは101Jであった。新燃池の北西岸から火口壁を越えて山腹に至る直線上に約20個の小火口が形成され、噴出した噴石は1万t、火山灰は860万t。 1991 - 2010年の活動 2003年の山頂火口。火口底には池があった その後しばらく顕著な活動は観測されず、表面的には平穏であったか、1991年に噴気活動を再開して以降、2005年から2007年にかけてGPS観測で山体膨張が観測されたほか時折、地震活動の高まりが生じていた。 2008年に山頂直下の火山性地震が増加し、17年ぶりに水蒸気噴火が起こった。 2005年9月から2007年9月には山頂部が膨張し、2007年9月から2009年12月頃までは山頂部は収縮に転じたが、再び広い範囲で膨張が起こり2011年1月の噴火に至った。 観測データ解析の結果、山頂部膨張の圧力源は山頂直下610m(標高790m)で体積は88*103m3程度と求められた。深い場所のマグマ溜まりへのマグマの蓄積は2006年から2009年12月ころには始まっていたと考えられている。 2008年(平成20年)8月22日、小規模な水蒸気噴火が発生。噴出量は約20万トンと推定。噴火警戒レベルが2に引き上げられた。その後噴火は発生せず、10月29日に噴火警戒レベル1に引き下げられた。 2009年(平成21年)4月下旬頃、新燃池の色がエメラルドグリーンから茶色に変色し、7月初旬頃に再び元に戻る現象が見られた。 2010年(平成22年)3月30日、小規模な噴火を確認、噴火警戒レベルが2に引き上げられ、火口周辺1km立ち入り規制が敷かれた。 その後、断続的な火山性地震及び火山性微動と、5月から7月にかけ火口外へ影響を及ぼさない小規模な噴火活動が観測された。5月27日の噴出物からは微量のガラス質のマグマ由来物出を検出。

2017年7月 九州北部豪雨

【災害名】 平成29年7月九州北部豪雨(へいせい29ねん7がつきゅうしゅうほくぶごうう) 【時期】 2017年(平成29年)7月5日から6日にかけて 【概要】 平成29年7月九州北部豪雨(へいせい29ねん7がつきゅうしゅうほくぶごうう)は、2017年(平成29年)7月5日から6日にかけて福岡県と大分県を中心とする九州北部で発生した集中豪雨。 被害の規模は気象庁が豪雨について命名する基準(損壊家屋、浸水家屋の数)を下回ってはいたものの、人的被害が大きいことから、同年7月19日付で命名された。 【被害状況】 ・雨量の記録1時間雨量福岡県朝倉市朝倉:129.5mm(7月5日15時38分まで。観測史上1位を更新)大分県日田市日田:87.5mm(7月5日18時44分まで)長崎県南島原市口之津:82.0mm(7月6日6時35分まで。観測史上1位を更新)福岡県朝倉市寺内(福岡県設置の雨量計):169mm(7月5日15時20分まで)3時間雨量福岡県朝倉市朝倉:261.0mm(7月5日15時40分まで。観測史上1位を更新)大分県日田市日田:186.0mm(7月5日20時20分まで。観測史上1位を更新)福岡県朝倉市付近:約400mm(7月5日18時まで。解析雨量)9時間雨量福岡県朝倉市黒川(北小路公民館、県設置):778mm(7月5日20時50分まで。)12時間雨量福岡県朝倉市付近:約900mm(解析雨量)24時間雨量福岡県朝倉市朝倉:545.5mm(7月6日11時40分まで。観測史上1位を更新)大分県日田市日田:370.0mm(7月6日10時50分まで。観測史上1位を更新)福岡県朝倉市付近:約1000mm(7月6日8時まで。解析雨量)福岡県東峰村付近:約600mm(7月6日8時まで。解析雨量)福岡県大刀洗町付近:約600mm(7月6日10時まで。解析雨量)大分県日田市付近:約600mm(7月6日8時まで。解析雨量)72時間雨量福岡県朝倉市朝倉:616.0mm(7月7日6時0分まで。観測史上1位を更新)大分県日田市日田:447.0mm(7月7日6時10分まで) 2018年6月1日現在、消防庁によると、福岡県で37人(朝倉市で34人、東峰村で3人)、大分県日田市で3人の計40人の死亡が確認されている。また福岡県朝倉市で2人が行方不明になっている。住宅被害は、福岡県と大分県の合計で、全壊336棟、半壊1096棟、一部破損44棟、床上浸水180棟、床下浸水1481棟となっている(ただし台風3号による被害も含まれている)。静岡大学防災総合センター教授の牛山素行の調査によると、死者・行方不明者の被災原因は土砂災害が23人、洪水が18人だった。多数の家屋が洪水で流失しており、洪水の犠牲者が多いにもかかわらず多く(30人)が屋内で被災していることが、この豪雨災害の特徴である。河川の氾濫福岡県朝倉市では、蜷城地区で桂川が氾濫し。添田町で彦山川が氾濫した。大分県日田市では大肥川の一部が溢れ、一部地区の孤立が生じた。日田市では花月川も氾濫した。被災地には大量の流木が見られ、河川に流れ込んだ総量はおよそ20万トン、36万立方メートルにのぼると推定されている。土砂崩れでなぎ倒された杉などの木が川を流れ下り、川の流れをせき止めて氾濫させた。住宅地に押し寄せた流木によって、水流だけの場合よりも破壊力が増し、家屋に大きな被害をもたらした。 【特記事項】 7月4日まで北陸付近にあった梅雨前線が、7月5日から朝鮮半島から西日本付近に南下。5日朝方、島根県西部で発達した雨雲が帯状に連なる線状降水帯が発生し、記録的な降水となった。気象庁は5日5時55分、島根県(西部の浜田市・益田市・邑南町・津和野町)に大雨特別警報を発表した。5日午後には、福岡県筑後地方北部で次々と積乱雲が発生し、発達しながら東へと移動して線状降水帯が形成された。このため、同じ場所で長時間猛烈な雨が降り続いた。福岡県朝倉市、うきは市、久留米市、東峰村、佐賀県鳥栖市、大分県日田市などで1時間に100mmを超える雨量がレーダー観測から解析された。特に、朝倉市付近では3時間で約400mm、12時間で約900mmの雨量が解析され、気象庁以外が管轄する雨量計では、朝倉市寺内で5日15時20分までの1時間降水量169mm、朝倉市黒川(北小路公民館)の雨量計では5日20時50分までの9時間降水量778mm(1時間平均で約86mm)を観測した。この1時間降水量は自治体観測を含めた日本記録187mm(長崎県長与町・1982年長崎大水害)に迫るものであり、また9時間降水量では12時間降水量の気象庁観測日本記録695.0mm(高知地方気象台・1998年高知豪雨)を大きく上回っており、9時間という時間範囲内で見れば、朝倉市の山間部の降水強度は日本の気象観測史上でも最大級のものであった。5日17時51分、気象庁は「甚大な被害の危険が差し迫っている」として、福岡県の筑後地方と筑豊地方を中心とする地域に大雨特別警報を発表した。さらに19時55分には、大分県のほぼ全域にも大雨特別警報を発表した。7月6日3時10分、気象庁は大雨特別警報の対象範囲として福岡県の5市2町を追加し、これで福岡県の大部分と大分県のほぼ全域が対象となった。

2016年8月 台風第7号

【災害名】 平成28年台風第7号(へいせい28ねんたいふうだい7ごう) 【時期】 2016年(平成28年)8月14日~8月18日にかけて 【概要】 2016年8月10日にフィリピンの東で形成が始まった低気圧93Wについて8月11日15時(協定世界時11日6時)、気象庁は熱帯低気圧として観測を開始した。同日21時、台風に発達する可能性があるとして熱帯低気圧情報の発表を開始し、合同台風警報センター(JTWC)は12日6時30分(協定世界時11日21時30分)にTCFA(熱帯低気圧形成警報)を発令。13日15時(協定世界時13日6時)に熱帯低気圧番号09Wを割り当てた。09Wは14日3時(協定世界時13日18時)にマリアナ諸島の北緯20.9度、東経142.9度で台風になり、アジア名チャンスー(Chanthu)と命名された。 【被害状況】 この台風により、東日本から北日本にかけての広い範囲で大雨による被害が出た。16日夜から17日にかけて、北海道の広い範囲で大雨が降り、16日0時から17日24時までの総雨量は胆振地方の白老町森野で233.5mm、日高地方の浦河町中杵臼で207.5mmとなった。また、根室市納沙布で42.5mm(17日0時28分まで)、江別市江別で40.0mm(16日20時50分まで)の1時間雨量となり、いずれも統計開始以来の極値を更新した。さらに17日19時40分までの3時間雨量は、河東郡上士幌町ぬかびら源泉郷で108.0mm、富良野市富良野で86.0mmに達し、いずれも統計開始以来の極値を更新。17日の日降水量は、上川郡美瑛町白金で157.5mm、上士幌町三股で146.0mmとなり、どちらも統計開始以来の極値を更新した。関東地方では、16日夜から17日明け方にかけて、千葉県と茨城県を中心に大雨となった。茨城県土浦市では65.5mmの1時間降水量となり、観測史上1位の記録を更新。その後17日朝以降は台風一過で晴れ、台風による暖かい空気の影響で、群馬県館林市で39.6度を観測するなど、内陸部を中心に猛暑日となった。東北地方でも太平洋側を中心に大雨が降り、多くの地域に一時土砂災害警戒情報が発表されていた。福島県茂庭で1時間降水量55.5mmを記録し、観測史上1位の記録を更新するなどした。そして北海道では、台風の上陸により大雨のみならず暴風も記録的なものとなった。17日19時45分には釧路市で最大瞬間風速43.2m/sを観測し、観測史上1位の記録を更新。最大風速については、31.8m/sを観測した釧路市をはじめ、大津で24.7m/s、鶴丘で24.0m/s、小清水で21.0m/s、白糠で19.6m/sとなるなど、いずれも観測史上1位の記録を更新した。北海道では18日、白糠町にある中学校の屋根が強風で吹き飛び、校庭に崩れ落ちる被害があった。道内では台風通過後も局地的な豪雨が続き、北見市常呂町を流れる常呂川が氾濫危険水位を超えた。また足寄町では、町内を流れる2本の川の水があふれ、住宅の浸水や道路の冠水の被害が発生し、約780世帯1620人に避難指示が出された。さらに道東を中心に大規模な停電も起こり、道内全体で最大8万戸以上が停電した住宅の浸水は、足寄町で約40戸、床上浸水が札幌市厚別区や置戸町などで計8棟、床下浸水が計18棟であった。20日には国道273号の上川町層雲峡の高原大橋が、石狩川の増水によって橋脚が沈むなどの被害が出たため通行止めとなったが、三国峠を含む国道273号上士幌町三股-上川管内上川町層雲峡(15.2km)が、9月30日14時に通行止めが解除された。 【特記事項】 台風はやや発達しながら15日から16日にかけて小笠原諸島及び伊豆諸島の東海上を北上し、一旦勢力を弱めたものの、17日になってから再発達し、2時前後に千葉県銚子市沖を通過。その後も関東・東北沖を陸地に沿うように北上し、同日9時に中心気圧980ヘクトパスカルという最低気圧を記録した。更に発達した台風は同日12時に最大風速30メートルを記録し、初めて暴風域を伴うようになった。そして17時30分頃、北海道の襟裳岬(様似町)付近に上陸した。18日3時、オホーツク海の北緯47.7度、東経144.6度で温帯低気圧に変わった。

2016年4月 熊本地震

【災害名】 熊本地震(くまもとじしん) 【時期】 2016年(平成28年)4月14日21時26分 【概要】 4月14日21時26分、熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ11 km、気象庁マグニチュード (Mj) 6.5、モーメントマグニチュード (Mw) 6.2の地震(前震)が発生し、同県の益城町で震度7を観測した。その28時間後の4月16日1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震央とする震源の深さ12 km、Mj7.3、Mw7.0の地震(本震)が発生し、西原村と益城町で震度7を観測した。Mj7.3 は1995年に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同規模である。14日の地震は日奈久断層帯の北端部の活動、16日未明の地震は布田川断層帯の活動によるもので、隣接する二つの断層帯が連動することで発生した連動型地震とみられている。さらに16日の本震以降、熊本県熊本地方の北東側に位置する阿蘇地方から大分県西部にかけての地域と、大分県中部(別府-万年山断層帯周辺)地域においても地震が相次ぎ、熊本地方と合わせて3地域で活発な地震活動がみられた。 【被害状況】 4月14日21時26分、一連の地震で最初の地震(Mj6.5)が発生し益城町で震度7(計測震度6.6)を観測した。震度5弱以上が観測された市町村は以下の通り。熊本県の嘉島町では、地震直後に震度情報が未入電となり、震度5弱以上と推定されていた。中部地方の一部から九州地方にかけての範囲で震度1から震度4を観測した。4月14日21時26分の地震で震度5弱以上が観測された気象庁の発表地点震度7熊本県 益城町宮園震度6弱熊本県 玉名市天水町・西原村小森・嘉島町上島・宇城市松橋町・宇城市不知火町・宇城市小川町・宇城市豊野町・熊本東区佐土原・熊本西区春日・熊本南区城南町・熊本南区富合町震度5強熊本県 玉名市横島町・菊池市旭志・宇土市浦田町・大津町大津・菊陽町久保田・御船町御船・熊本美里町永富・熊本美里町馬場・山都町下馬尾・氷川町島地・合志市竹迫・熊本中央区大江・熊本北区植木町震度5弱熊本県 熊本高森町高森・阿蘇市内牧・南阿蘇村吉田・南阿蘇村河陽・八代市平山新町・八代市松江城町・八代市千丁町・八代市鏡町・菊池市泗水町・長洲町長洲・大津町引水・甲佐町豊内・氷川町宮原・合志市御代志・和水町江田・上天草市大矢野町・上天草市松島町・天草市五和町宮崎県 椎葉村下福良気象庁は地震検知から3.8秒後の21時26分42.5秒に緊急地震速報(警報)を熊本県・大分県・宮崎県・福岡県・佐賀県の全域、長崎県の南西部と北部と島原半島、鹿児島県の薩摩地方と大隅地方、山口県の西部と中部、愛媛県の南予地方を対象として発表した。消防庁の発表によると、2019年4月12日現在、住宅の全壊が8,667棟、半壊が34,719棟、一部破損が163,500棟、床上浸水が114棟、床下浸水が156棟、公共建物の被害が467棟確認されている。被災後の建物の危険性を調べる応急危険度判定は5月1日までに当初予定分を終え、判定を行った46,966棟のうち13,113棟の建物が倒壊するおそれのある「危険」判定を受けた。 【特記事項】 気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。また、熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、東北地方太平洋沖地震の時に宮城県栗原市で観測された揺れ(計測震度6.6)を上回り、国内観測史上最大となった。

2014年9月 御嶽山噴火

【災害名】 2014年の御嶽山噴火(2014ねんのおんたけさんふんか) 【時期】 2014年(平成26年)9月27日11時52分(日本時間) 【概要】 山頂の南西、地獄谷付近の地下にあった熱水溜まりが何らかの原因で過熱(あるいは減圧)したことにより急膨張した結果、突沸し噴出に至った。山頂付近で噴火に遭遇し生還した登山者によれば、「最初の噴出は岩がぶつかるような音で始まり、爆発音はなかった」との証言がある。新たな火口は、1979年噴火の火口列の南西250 - 300メートル付近の位置に平行に複数個が形成され、最初の噴火では火砕流も発生し、火口南西側の地獄谷を約3キロ程度流下、火口北西側の尺ナンゾ谷にも流れ下ったことが観測された。また、降下した火山灰を構成する粒子は大部分が変質岩片で構成され、マグマ由来の成分は検出されていないため、今回の噴火は水蒸気爆発と分析されている。日本国内において噴火災害で死者を出したのは、1991年6月3日の雲仙・普賢岳の大火砕流以来となり、死者数も雲仙・普賢岳の43人を超え、戦後最悪の58人となった。東京大学地震研究所助教授で火山学者の金子隆之は、噴石の初速を360メートル毎秒(時速1,296キロメートル、約マッハ1.05)、山頂付近での速度を300メートル毎秒(時速1,080キロメートル、約マッハ0.88)と推定している。 【被害状況】 噴火警戒レベル1(平常)の段階で噴火したため、火口付近に居合わせた登山者ら58名が死亡した、日本における戦後最悪の火山災害である。今回の噴火は地下水がマグマに触れ、蒸発した水蒸気が圧縮されたことによる水蒸気爆発型噴火であった。9月10日には52回、翌11日には85回の火山性地震が観測されており、12日には気象庁は「火山灰等の噴出の可能性」を発表し、各自治体にも通知した。しかし2007年噴火のような山体膨張や火山性微動といったマグマの上昇を示すデータは観測されなかったため、警戒レベルは平常時と同じ「1」のままにし、レベル2(火口周辺規制)には変更せず、その後地震の回数が減ったことから、自治体も注視するに留め、登山者への警戒呼びかけなど新たな対応を求めることはなかった。つまり、自治体の担当者が判断の根拠とした諸情報を組織の内部に抱え込んでいるばかりで、肝心の一般登山者に直近の情報をまったく伝えていなかったため、一般登山者は警戒することすらできなかった。 【特記事項】 噴火自体は他山の例と比較した場合小規模で、1979年にほぼ同じ場所で発生した同規模の爆発では1人の死傷者も出さなかったにもかかわらず、今回は日本国内では1991年の雲仙普賢岳以来、死者数は戦後最悪となる多数の人的被害を出し、登山客が巻き込まれたものとしては明治以来最悪となった。これは、被害を増大する複数の要因が重なったためであった。

2014年8月 豪雨による広島市の土砂災害

【災害名】 平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害(へいせい26ねん8がつごううによる ひろしましの どしゃさいがい) 【時期】 2014年(平成26年)8月20日 【概要】 2014年8月19日夜から20日明け方にかけて、広島市安佐南区八木・緑井・山本および安佐北区可部を中心としたごく狭い範囲に集中豪雨が発生した。「数百年に1回程度よりはるかに少ない確率」で発生した記録的集中豪雨であった。線状降水帯が発生し、3時間降水量は200ミリを超え、同時多発的に大規模な土石流が発生した。広島市災害対策本部のまとめでは、土砂災害166か所(うち土石流107か所、がけ崩れ59か所)が発生している。1.記録的集中豪雨が、2.午前1時半から午前4時の真っ暗で対応の難しい時間帯に、3.新興住宅地など人家が密集する住宅地後背の山々を襲った、の3つの悪条件が重なったことで甚大な被害を出した「都市型土砂災害」である。 【被害状況】 行方不明者の捜索は約1か月間におよび、災害における直接死は74人、これに2016年現在で災害関連死3人が加わり、死者77人となった。この災害死の数は、国土交通省の発表によると土砂災害による人的被害としては過去30年間の日本で最多であり、1983年7月に島根県西部で87人が死亡・行方不明となった豪雨(昭和58年7月豪雨)による土砂災害以来の大きな人的被害となった。広島市に限れば、1999年の6.29豪雨災害における土砂災害被害を上回った。近年まれに見る死者数の多さから、社会問題として大きく扱われた。住宅被害、電気・水道・ガスなどに加えて、交通網が集散する場所であったことからライフライン・インフラすべてにおいて大きな被害を受けた。避難勧告の対象範囲は大きく、避難所へはピーク時で904世帯・2,354人が避難したものの、安全が確認されるまで長期にわたり避難所での生活を余儀なくされた。前半は大竹市、廿日市市など広島市南西側の沿岸部で降り始め、線状降水帯の発達にともない徐々に広島市内へと続いていった。この時点での1時間降水量は、廿日市市役所46ミリ(19時20分 - 20時20分)、広島地方気象台45.5ミリ(21時20分 - 22時20分)と、どの地点でも50ミリを超えなかった。広島市中心部では19時30分ごろから雷が鳴り始め、20時ごろより雨が強くなり、20時から22時にかけて広島市内の約9,400軒が停電した。平和大通りなどでは膝下まで道路が冠水(内水氾濫)し、広島高速4号線上り線で中広出入口が冠水したため通行止めになる(23時解除)など市中心ではさまざまな被害が出ていた。後半は新たな線状降水帯が東進しながら急速に発達・合体したことによるもので、20日1時から4時に安佐南区・安佐北区を中心とした局地的領域に停滞し時間の経過とともに猛烈な雨が降った。20日1時30分から4時30分までの3時間降水量は、安佐北区役所・安佐北区上原・安佐北区三入東・安佐北区三入の4地点で200ミリを超え、150ミリを超えたのはその4地点を含めて約8キロ×約15キロのごく狭い範囲に集中した。 【特記事項】 災害発生時の8月19日夜から20日朝、北海道付近から対馬海峡付近にかけて南西の方向に秋雨前線が延び、前線は日本海海上にあってその南に中国地方が位置し、前線に向かって日本の南海上から暖かく湿った空気が流れ込む状況にあった。このとき広島市付近では、上空の寒冷渦の影響などで大気が不安定であるとともに、下層(地表付近)では豊後水道を通って南から暖かく湿った空気が流入する一方、上空1,500メートル(850hPa)付近や3,000メートル(700hPa)付近では強い南西の風となっていた。下層の南風は、広島市の西方にあたる広島・山口県境付近の山地にぶつかって地形性の上昇気流を起こし、積乱雲を発生させる。これに上空の南西風がぶつかって積乱雲を強化しつつ、風下である北東の方向に押し流した。これにより、積乱雲が連続的に発生する「バックビルディング現象」が起きた。

2014年2月 豪雪

【災害名】 平成26年豪雪(へいせい26ねんごうせつ) 【時期】 2014年2月4日~16日にかけて 【概要】 2月4日正午から6日にかけて冬型の気圧配置となり、下層寒気については「10年に1度」の強い寒波が日本列島に流れ込み全国的に寒い日が続いた。最高気温0℃未満の真冬日となった地点数は、5日・6日と2日連続で400地点を超えた(4日は日付変更直後の深夜から早朝にその日の最高気温を記録した地点が多く、昼になるにつれ気温が著しく低下した)。また、低気圧が急速に発達を続けたため8日・14日と2週続けて広い範囲(関東・甲信越・東北(主に福島県と宮城県)(新潟県の一部も含む)地方を中心)に大雪となった。いずれも冬型の気圧配置によるものではなく南岸低気圧が通過した影響で発生したものであり、上空の気温が低かったことから全国的に雨ではなく雪となった。 【被害状況】 2月7日から9日にかけての降雪前線を伴った低気圧が日本列島の南をゆっくり通過したため中国・四国地方から東北地方にかけて大雪となった。8日3時に1002hPa(四国沖)だった低気圧は9日3時には984hPaに発達、東京都心でも20cm以上の積雪が予測されたため気象庁は7日の夕方に記者会見を開くなど関東地方での大雪が警戒された。7日は西日本を中心に大雪となり岡山市で20年ぶりに9cmを観測した。8日は東海地方で午前中、関東地方で夕方から夜にかけてまとまった雪が降り、千葉(1966年観測開始)で歴代最深となる33cmの積雪を記録するなど、千葉県では北西部や房総丘陵などで積雪が40〜60cmに達した地点もあった。また、東京都千代田区大手町で観測史上8位となる最深積雪27cmを記録するなど東京都心でも1994年以来20年ぶりの積雪20cm以上・45年ぶりの積雪25cm以上を記録。8日の最高気温は平年より5℃以上低くなったところが多く、全国のアメダスのうち393地点では最高気温が0℃未満の「真冬日」となった。翌9日には低気圧が北東に移動し、仙台市で1926年の観測開始以来歴代3位となる最深積雪35cmを記録するなど関東と東北の太平洋側で記録的な大雪となった。これらの大雪は上空の寒気が非常に強かったことから、南岸低気圧がもたらすものとしては比較的軽い乾雪となったところが多く、雪の重みによる被害は比較的少なく済んだ。この非常に強い寒気の影響で北海道では8日朝の冷え込みが強まり、北海道の11地点で最低気温が-30℃以下になった(最低は幌加内町の-33.8°Cで、平年比-18℃)ほか、札幌でも-14.3℃で平年を7℃下回った。2月11日の降雪低気圧が小笠原付近を通過し、その北を弱い気圧の谷が通過したため関東地方に雪雲が広がり、千葉県や茨城県を中心に積雪を観測し東京都心でも一時的に雪が舞った。千葉市では前回の南岸低気圧により11cmの雪が残っていたがその上に雪が降り積もり、一時的に最深積雪が21cmに達した。2月14日から16日にかけての降雪低気圧が日本の南岸を発達しながら通過し、近畿から東北にかけて大雪となり、特に関東内陸や甲信では記録的大雪となった。13日、九州の南で低気圧が発生。九州は、雨中心の天候であったが、気温の低い夜に降水が発生したため、福岡県などでもみぞれを観測した。宮崎県北部や大分県の山沿いでは、気温が低かったため、大雪となった。14日未明には中国・四国でも降雪が始まり、四国では14日午前中まで雪で、高松市や徳島市などでは積雪を観測し、山沿いでは30センチ前後の大雪となった。14日明け方からは、近畿から関東にかけて雪となり、近畿・東海では昼前を中心に、関東・甲信では15日未明を中心に大雪となった。15日未明に関東・甲信越で雪のピークを迎えたが、低気圧が陸地に近づいたため、雪を降らせていた寒気と低気圧の暖気の影響で大気の状態が不安定となり、南岸低気圧としては珍しく、関東南部では雷が発生し、竜巻注意情報も発表された。それを境に関東南部では雨に変わり、朝まで降り続いたが、関東内陸や甲信では寒気が残ったため、朝まで雪が続いた。東北では、昼過ぎにかけて雪となった。西日本九州では山沿いを中心に雪となり、高千穂町は20cm、五ケ瀬町などでは30cmから40cmの積雪を観測した。四国でも積雪となり、降水量も多かったため、2月8日より積雪したところもある。ほぼ全域で、大雪注意報が発表した。近畿・東海南部の海沿いを除きほぼ全域で雪となった。市街地では比較的普段の南岸低気圧の積雪と変わらなかったが、紀伊半島を中心に活発な雲が流れたため約20年ぶりの大雪となり、内陸や山沿いでは20cmから50cm前後の積雪を記録し、これらの地域でも20cm超えは珍しく、大雪警報が発表された。一部の南部を除き、昼過ぎにはいったん雪が止んだが、夜遅くに再び弱い雨や雪が降り、未明にかけて降り続き、奈良県など内陸方面では再び雪が積もり、大阪や京都などでも霙が降った。京都府では、南丹市で23cmの積雪を記録し、南部の一部地域に16年ぶりに大雪警報が発表された。奈良県では、15 cmを観測し、1996年2月以来の大雪となった。五條市では24cm、天川村では30cmを観測し、奈良県では24年ぶりとなる大雪警報が発表された。夜遅くに再び雪が降り、11cmまで減少していた積雪が14cmに増加した。また、日中の気温もほぼ0℃で経過し、最高気温は雪が降る前の未明に観測された1℃であった。三重県南部では、津市で13cm(戦後3位)を観測し、名張市で27cm、伊勢市で25cm前後の積雪となり、伊勢神宮が参拝停止になった。また、三重県南部で初の大雪警報が発表された。その他、京都・大阪で4cm、和歌山で6cm、彦根・名古屋で7cm、岐阜で8cm。また、同じ地域でも場所によって降雪量に大きな差も見られた。関東・甲信2月14日夕方から2月15日朝にかけては特に甲信地方の山梨県で記録的な大雪となり、甲府市(1894年観測開始)で114cm、河口湖(1933年観測開始)でも143cmといずれもそれまでの過去最深積雪を大幅に塗り替える積雪を記録した他、関東地方でも秩父市(1926年観測開始)で98cm、前橋市(1896年観測開始)で73cm、熊谷市(1896年観測開始)で62cm、宇都宮市(1890年観測開始)で32cmと過去最深積雪を記録、東京都心でも8日に続いて東京都千代田区大手町で最深積雪27cmを記録。大手町から1キロ離れた北の丸公園試験観測場では大手町を大きく上回る39cmの積雪となった。この大雪から2日経った2月17日には東シナ海上に再び低気圧が発生。低気圧を伴った前線が14日から16日の低気圧と同様のコースを進む予想だったため、17日の予測では関東地方で過去2回の積雪と同規模かそれを上回る大雪が予想されたが、低気圧は陸地から離れたため雪は観測されなかった。 【特記事項】 積雪量は関東平野部でも30〜80 cm、甲信越地方および奥多摩・秩父・丹沢・箱根・静岡東部などの内陸部では1m以上に達し、山中湖村で最大時には積雪187cmを記録するなど、山間部では2m前後にまで達した。