2004年10月 新潟県中越地震

【災害名】 新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん) 【時期】 2004年(平成16年)10月23日17時56分 【概要】 新潟県北魚沼郡川口町(現・長岡市)の直下を震源として発生した逆断層型の内陸地殻内地震で、震源直上の川口町では最大震度7を観測した。 震度7を観測したのは、1995年の阪神・淡路大震災以来9年ぶり、観測史上2回目。なお、阪神・淡路大震災では気象庁などの調査によって震度が判定されたため、震度計で震度7が観測されたのは初めてである。 また、M6を越える規模の大きな余震が複数回発生するなど、余震回数が多く群発地震的様相を呈したことも特徴のひとつである。 【被害状況】 強い揺れに見舞われた小千谷市、十日町市、長岡市、見附市を中心に、全体で68名が死亡した。この内、建物の倒壊などによる直接的な死者は16人で、他の52人は避難中のストレスやエコノミークラス症候群によるものであった。 家屋の全半壊はおよそ1万7,000棟に上ったものの、建物火災の発生は9件に留まった。 「新潟県・特別豪雪地帯等における高床式住宅の特例基準」が施行された2001年10月以降の高床式住宅は比較的被害が軽微であった。一方で、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路が約6,000か所で分断された。 2004年(平成16年)は7月13日に新潟県地方で大規模な水害が起こり(平成16年7月新潟・福島豪雨)、また夏から秋にかけて台風が過去最多の10個上陸するという、例年にない多雨に見舞われた年であった。 このため、もともと地滑りの発生しやすい地形であったところに降雨によって地盤が緩み、地震が発生した際に多くの土砂崩れを引き起こしたものと思われる。 震度5弱以上が観測された気象庁の発表地点 震度7 新潟県 川口町川口 震度6強 小千谷市城内・山古志村竹沢・小国町法坂 震度6弱 長岡市幸町・十日町市千歳町・栃尾市大町・越路町浦・三島町上岩井・堀之内町堀之内・広神村今泉・守門村須原・入広瀬村穴沢・川西町水口沢・新潟中里村田沢・刈羽村割町新田 震度5強 安塚町安塚・松代町松代・松之山町松之山・見附市昭和町・中之島町中之島・与板町与板・和島村小島谷・出雲崎町米田・小出町小出島・塩沢町塩沢・六日町伊勢町・新潟大和町浦佐・津南町下船渡 震度5弱 福島県 只見町只見・西会津町野沢・柳津町柳津 群馬県 片品村東小川・高崎市高松町・北橘村真壁 埼玉県 久喜市下早見 新潟県 上越市大手町・上越市木田・浦川原村釜淵・牧村柳島・柿崎町柿崎・頸城村百間町新田・吉川町原之町・三和村井ノ口・三条市西裏館・柏崎市中央町・加茂市幸町・出雲崎町川西・広神村米沢・栄町新堀・湯之谷村大沢・高柳町岡野町・西山町池浦・燕市秋葉町・弥彦村矢作・分水町地蔵堂・吉田町日之出町・巻町巻・月潟村月潟・中之口村中之口 長野県 三水村芋川 北は青森県の東津軽郡蟹田町(現・外ヶ浜町)、西は兵庫県の神戸市灘区、南は和歌山県の那賀郡打田町・粉河町(どちらも現在の紀の川市)で震度1を観測するなど、東北地方から近畿地方にかけて震度1以上の揺れを観測し、北海道の函館市でもビルの高層階では揺れを感じた。 また、防災科学技術研究所が運用している強震観測網によれば小千谷市で震度7相当(計測震度6.7)の揺れを観測した。 【特記事項】 本震の震源の深さが地下13キロで、余震も地下20キロ以下で発生し、大きな有感地震が続いた。

2004年8月 台風第16号

【災害名】 平成16年台風第16号(へいせい16ねんたいふうだい16ごう) 【時期】 2004年8月19日~8月31日にかけて 【概要】 8月19日21時にマーシャル諸島近海で発生した台風16号は、23日にサイパン島の西で猛烈な勢力となった。 27日以降、日本の南海上をゆっくりと北西に進み、29日夜には九州の南海上で進路を北寄りに変え、30日10時前、鹿児島県串木野市(現在のいちき串木野市)付近に大型で強い勢力(中心気圧950hPa)で上陸し、九州を縦断した。 17時半頃、山口県防府市付近に再上陸した後、中国地方から能登沖を、次第に速度を速めて強い勢力のまま北東に進んだ。 その後やや勢力を弱め、31日に津軽海峡を通って、12時過ぎ、北海道函館市付近に再上陸し、15時に北海道東部で温帯低気圧に変わった。 27日から31日にかけての期間降水量は、西日本の太平洋側で500mmを超え、台風上陸、接近に伴い各地で暴風となった。 また、30日夜には、台風接近と大潮期間の満潮とが重なり、高松港や宇野港などで観測開始以来最も高い潮位を観測した。 この台風は、2004年の台風では最も強く、最盛期には中心気圧910hPa、最大風速55m/s(110knot)の猛烈な勢力だった。 また、強風域や暴風域も広く、台風の中心から離れたところでも強い風が吹いた。 さらに、気圧の低下や強い風の吹きつけ、そして大潮期間の満潮が大規模な高潮被害をもたらしたと考えられる。 全国での死者は14人、行方不明者3人、負傷者269人と人的被害も大きかった。 さらに、この台風の後の台風18号により、復興作業中の九州地方や中国・四国地方でさらに被害が広まった。 【被害状況】 被害 死者: 14 名 行方不明者: 3 名 負傷者: 269 名 住家全壊: 30 棟 住家半壊: 92 棟 床上浸水: 16,840 棟 床下浸水:

2003年9月 十勝沖地震

【災害名】 十勝沖地震(とかちおきじしん) 【時期】 2003年(平成15年)9月26日午前4時50分07秒(日本時間) 【概要】 震源:北海道襟裳岬東南東沖80km 北緯41度46.7分、東経144度4.7分、深さ45km。 ※震源は1952年の巨大地震とほぼ同じ 地震の規模:Mj8.0、Mw8.0(気象庁)、Mw8.3(アメリカ地質調査所) 気象庁はこの地震を平成15年(2003年)十勝沖地震と命名した。 この地震の震源付近では1952年3月4日にM8.2の十勝沖地震が発生している。 そのため、2003年の地震を「平成十勝沖地震」として区別することもある。 【被害状況】 北海道から東北地方の太平洋沿岸に津波が襲来し、最高で2m55cm(北海道豊頃町・大津で記録)に達した。 十勝川などでは、津波が川を10km以上も逆流する現象も発生した。 北海道では豊頃町の十勝川河口でサケ釣りをしていた釣り人の男性2名が津波にさらわれ行方不明となり、うち1名の遺体が2005年4月に発見された。この死者・行方不明者の他にこの地震による犠牲者はいない。 北海道を中心に負傷者849人、住宅の全壊116棟、半壊368棟、一部破損1,580棟、床下浸水9棟の被害が出た。 各地の震度 震度6弱 北海道 新冠町 静内町 浦河町 鹿追町 幕別町 豊頃町 忠類村 釧路町 厚岸町 震度5強 北海道 厚真町 足寄町 帯広市 本別町 更別村 広尾町

2003年7月 宮城県北部地震

【災害名】 宮城県北部地震(みやぎけんほくぶじしん) 【時期】 2003年7月26日0時13分(前震) 2003年7月26日7時13分(本震) 【概要】 2003年(平成15年)7月26日、宮城県北部(鳴瀬町、矢本町、河南町周辺)を震源として連続的に発生した地震で、最大震度6弱を超える地震が1日の内に3回発生した。『宮城県連続地震』とも呼ばれている。 この地震の特徴は、本震と思われた強い前震の後に、さらに強い揺れの本震が発生したことである。 【被害状況】 被害は、負傷者677人、住宅全壊1,276棟、半壊3,809棟、一部破損10,976棟。これらの被害の多くは本震によるもので、死者が出なかったのは前震で警戒感が高まっていたからだとも推測されている。 震源は「旭山撓曲」とよばれる推定活断層の直下にあり、この断層が活動したのではないかと地表踏査が行われたが、地表の震源断層は確認されなかった。 旭山撓曲は、文部科学省が実施している活断層調査の調査対象(98断層帯)には含まれていなかった。しかしその後の調査の結果、別の活断層が旭山撓曲の東側で発見され「須江断層」と命名された。 この断層は現在より2000万年以上前に形成された断層であり、それが再活動したと考えられている。須江断層を地下へ延長すると、この地震の震源に重なることから、この断層が震源である可能性が高い。 なお、2005年4月の自治体合併で鳴瀬町と矢本町は東松島市となり、河南町は石巻市の一部となったほか、2006年の地域名称変更により、現在の地域名称では震源地は宮城県中部である。 0時13分の地震、各地の震度 震度6弱 宮城県 矢本町 鳴瀬町 震度5強 宮城県 鹿島台町 南郷町 震度5弱 宮城県 石巻市 大郷町 松山町 涌谷町 田尻町 河南町 震度4 岩手県 室根村 7時13分の地震、各地の震度 震度6強 宮城県

2001年3月 芸予地震

【災害名】 芸予地震(げいよじしん) 【時期】 2001年(平成13年)3月24日 15時27分54秒 【概要】 2001年(平成13年)3月24日 15時27分54.5秒(日本標準時)に発生した地震の震源は上蒲刈島の南。マグニチュードは、気象庁マグニチュードでMj 6.7、モーメントマグニチュード(Mw) 6.8。 震源の深さは51km。最大震度は6弱。被害総額約193億円。 中国地方においては2000年10月に起きた鳥取県西部地震(Mj7.3、Mw6.6)から5ヶ月ぶり、瀬戸内海に面した地域としては1995年の兵庫県南部地震(Mj7.3、Mw6.9)から6年ぶりとなる被害地震となった。 これらと比べて芸予地震は規模としては同等であったが、これらが震源深さ20km前後の直下型地震だったのに対し芸予地震は更に深部でのスラブ内地震であった。 【被害状況】 この地震で1人が広島県呉市で隣家の崩れたブロック塀壁の下敷きとなり、1人が愛媛県北条市(現松山市)で落下してきた自宅ベランダの下敷きになって死亡した。 負傷者の特徴として、家屋内での落下物によるものと、店舗・工場内での火傷によるものが多かった。 また高齢者を中心に避難途中での瓦礫による負傷者が続出した。 震度5弱以上が観測された気象庁の発表地点 震度6弱 広島県 広島河内町中河内・広島大崎町中野・熊野町役場 震度5強 広島県 広島千代田町有田・三原市円一町・豊栄町鍛冶屋・本郷町本郷・安芸津町三津・安浦町内海・川尻町西・広島豊浜町豊島・豊町大長・久井町和草・向島町役場・広島西区己斐・広島安佐南区緑井・広島安佐北区可部南・呉市広・呉市宝町・廿日市市下平良・府中町大通り・海田町上市・音戸町鰯浜・倉橋町役場・下蒲刈町下島・能美町中町・沖美町三吉・大柿町大原・黒瀬町丸山 山口県 阿東町徳佐・岩国市今津・柳井市南町・久賀町久賀・山口大島町小松・山口東和町森・橘町西安下庄・和木町和木・大畠町大畠・田布施町下田布施2・平生町平生 愛媛県 今治市南宝来町・丹原町鞍瀬丁・丹原町池田・波方町樋口・大西町宮脇・菊間町浜・吉海町八幡・弓削町下弓削・生名村役場・岩城村役場・愛媛上浦町井口・大三島町宮浦・松山市北持田町・久万町久万町・愛媛松前町筒井・砥部町宮内・三瓶町朝立・宇和町卯之町・愛媛吉田町東小路 震度5弱 島根県 羽須美村下口羽・桜江町川戸・島根三隅町三隅 広島県 豊平町都志見・広島吉田町吉田・広島八千代町佐々井・甲山町西上原・世羅西町小国・吉舎町吉舎・三良坂町三良坂・尾道市久保・福山市松永町・広島福富町久芳・東野町役場・瀬戸田町瀬戸田・御調町市・広島内海町口・新市町新市・広島中区大手町・広島中区上八丁堀・広島南区宇品海岸・広島安芸区中野・坂町役場・呉市焼山・倉橋町鳶ヶ巣・蒲刈町宮盛・広島大和町下徳良・宮島町役場・広島佐伯町津田・木江町木江・江田島町役場 山口県 徳山市岐山通り・下松市大手町・光市中央・由宇町役場・玖珂町役場・周東町下久原・山口美和町生見・上関町長島・田布施町下田布施・山口大和町岩田・小郡町下郷 愛媛県 新居浜市一宮町・西条市新田・小松町新屋敷・朝倉村朝倉北・愛媛玉川町三反地・宮窪町宮窪・関前村岡村・重信町見奈良・愛媛中島町大浦・中山町出渕・宇和島市住吉町・大洲市大洲・五十崎町平岡・保内町宮内・伊方町湊浦・明浜町高山・野村町阿下・愛媛三間町宮野下

2000年10月 鳥取県西部地震

【災害名】 鳥取県西部地震(とっとりけんせいぶじしん) 【時期】 2000年(平成12年)10月6日13時30分18秒 【概要】 1996年の震度階級改正以来、初めて震度6強を記録した。気象庁マグニチュードが7を超える大地震だったにもかかわらず、何人かは生き埋めとなったが救助され、死者はなかった。 これは、震源地が山間部であったことや市街地の一部を除き、人口が密集していない地域であったこと、積雪の多い地域のため頑丈な造りの民家が多かったこと、そして地盤が比較的強固であったことも挙げられる。 鳥取県ではこの地震の2か月前に震度6強の震災が鳥取県西部で発生することを想定して防災訓練を実施しており、訓練の成果として地震発生から10分後には行政および消防当局が対策を実施することができた。 しかし、境港市街の液状化を始め、日野町、米子市などで住宅の倒壊、損壊など物理的な被害は顕著であった。 また震源地が大山にほど近い事もあり大山の噴火も懸念されたがまったく火山活動はなく、津波は観測されていない。 発生:2000年(平成12年)10月6日(金)13時30分18秒 (JST) 震源:鳥取県米子市南方約20 km(北緯35度16.4分、東経133度20.9分、深さ9 km) 地震の規模:M7.3 (Mw6.8) 最大震度:6強(鳥取県日野郡日野町根雨、鳥取県境港市東本町) 【被害状況】 消防庁による被害の状況 人的被害 負傷者 182人 住宅被害 全壊 435棟 半壊 3101棟 一部損壊 18544棟 震度5弱以上が観測された気象庁の発表地点 震度6強 鳥取県 境港市東本町・鳥取日野町根雨 震度6弱 鳥取県 境港市上道町・西伯町法勝寺・会見町天万・岸本町吉長・淀江町西原・溝口町溝口・日吉津村日吉津

2000年9月 東海豪雨

【災害名】 東海豪雨(とうかいごうう) 【時期】 2000年(平成12年)9月11日~12日にかけて 【概要】 2000年9月7日頃から本州付近に秋雨前線が停滞しており、11日から12日にかけて、台風14号の東側を回る暖湿気流が前線に向かって流れ込んだため、前線の活動が活発となり、愛知・三重・岐阜県の東海地方を中心に、雷を伴った非常に激しい雨が降った。 11日夕方ごろから、名古屋市をはじめとする中京地区を中心とした広範囲にわたり大きな被害をもたらし、2日間の積算降水量は多いところで600ミリ前後に上った。 名古屋市では11日の日降水量が、平年の9月の月降水量の2倍となる428ミリとなり、2日間の合計降水量が567ミリに達した。 愛知県東海市では11日の午後7時までの1時間に114mm、日降水量492mmを記録した。 【被害状況】 消防庁によると、東海地方(静岡県・岐阜県・愛知県・三重県)で10人が死亡し、全国で115人が重軽傷を負った。経済的被害は2700億円を超え、1959年の伊勢湾台風以来の水害となった。 名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じたほか、中部地方太平洋側の広い範囲で浸水、河道護岸の損壊、崖崩れ、土石流などによる災害が発生した。 この災害により、愛知県名古屋市、一宮市、春日井市、西春日井郡師勝町(現・北名古屋市)・西春町(現・北名古屋市)・清洲町(現・清須市)・西枇杷島町(現・清須市)・新川町(現・清須市)・豊山町、豊明市、半田市、刈谷市、大府市、岩倉市、東海市、知多郡美浜町・東浦町、海部郡甚目寺町(現・あま市)・大治町、北設楽郡稲武町(現・豊田市)、岐阜県恵那郡上矢作町(現・恵那市)の21市町に災害救助法が適用された。 名古屋市周辺で最も浸水被害が激しかったのは、天白区野並地区で、天白川とその支流の藤川の堤防に囲まれた堤内地が水面より遥かに低い地形だったため、行き場を失った雨水が集中し、ポンプ場から天白川に排水した水が、そのまま藤川の支流の郷下川(ごうしたがわ)を逆流して、再度野並地区に流入するという悪循環を繰り返し、やがて地区の住宅の1階は完全に水没し、住居内での溺死者も発生した。ポンプ場も浸水して機能停止したため、水が引くまでに相当の時間を要することとなった。 一方、元々旧市街地を洪水から守る庄内川放流路としての新川洗堰の向こう側に広がった名古屋市内の庄内川水系新川では、長さ100メートルにわたる破堤があったほか、愛知県内で少なくとも10か所で破堤し、名古屋市中川区下之一色町では、洗堰での分流にもかかわらず庄内川が堤防高を超えて溢水するなど、各地で多数の越流があった。 下之一色町三角地区のうち、県道の橋より南側にある集落は浸水により居住不能となり消滅した。 この結果、新川流域(名古屋市西区山田地区、西春日井郡西枇杷島町・新川町(現・清須市))、庄内川流域(名古屋市中川区、春日井市)、天白川流域(名古屋市天白区・南区・緑区など)、境川・逢妻川流域(大府市、知立市、刈谷市、知多郡東浦町など)、名古屋市周辺で多数の浸水被害が生じた。 【特記事項】 岐阜県では矢作川流域を中心とした恵南地域に多大な被害が出たため、この豪雨に関して岐阜県内に限っては恵南豪雨とも呼ばれる。 この地域では家屋が壊れたり流されたりする深刻な被害が出た。 しかしマスコミ報道では、比較的被害の軽かった名古屋市周辺の報道が集中し、取り上げられることはほとんどなかった。 期間降水量は、三重県多気郡宮川村(現・大台町)で1,090ミリとなったほか、四国から東海地方で800〜1,000ミリに達した。 大雨は静岡県・山梨県にもおよび、これらの広い地域で2日間の合計降水量が200〜400ミリとなったところがあった。

2000年6月 三宅島の噴火

【災害名】 三宅島(みやけじま)の噴火 【時期】 2000年6月26日18:30過ぎ 【概要】 6月26日18:30過ぎから三宅島直下で激しい群発地震が始まった。この活動は1983年の噴火直前と酷似しているとして、19:33に気象庁は噴火の恐れが高いと判断し「緊急火山情報」を出した。 翌27日朝までに坪田・三池・阿古・伊ヶ谷地区の住民が島の北部に避難したが、群発地震の震源は島の北西の海底へ移動。 6月27日9:00頃に島の阿古地区の西方沖約1kmで海面変色が海上保安庁により確認されるにとどまった。 【被害状況】 地震活動は沈静化することなく、三宅島西方海域から西北西に移動し、神津島近海に達する。7月1日16:00過ぎ、一連の群発地震で最大となるM6.5の地震が神津島近海で発生、神津島では震度6弱を記録し、死者1人、負傷者15人を出した。 噴火の関心は神津島近海海底に集まるが海底噴火は沈静化し、一方で7月に入ると雄山火口直下の地震が7月4日から再び活発化した。 7月8日18:41に雄山で小規模な水蒸気爆発が発生、灰色の少量の噴煙が島の東側に流れ、赤色の火山灰が降下した。この噴火で雄山の山頂が陥没して直径約800mの巨大な陥没火口(カルデラ)ができていることが翌7月9日朝になってから確認された。 これは三宅島でおよそ2,500年前の八丁原カルデラ以来のカルデラ形成となった。 その後も陥没は進み、カルデラは直径1.6km、カルデラ縁からの深さは500mにも達した。 7月14日、15日には再び水蒸気爆発が起こり、島内に大量の火山灰が降下した。 8月10日の朝6:30頃、山頂の陥没口からついにマグマ水蒸気爆発とみられる噴火が発生、黒色の噴煙は上空6,000m以上に達した。 その後の爆発は激しさを増してゆき、8月18日の大規模噴火では噴石を伴う噴煙が上空15,000mに達し、小規模な火砕サージ、水蒸気が上空に達したことによる局地的な驟雨も発生し火山弾は住宅地にも落下した。 8月29日早朝の午前5:00過ぎの大規模噴火では低温の火砕流が発生して火口の北北東にある神着地区、美茂井地区などを流下して海岸に達した。 この低温火砕流に住民が数名飲み込まれたが、低温のため死傷者は出なかった。 この噴火では6:00過ぎに反対側の南西方向にある村営牧場にも火砕流が到達し、更に雨による泥流も頻発した。 小規模な噴火はその後も断続的に発生する。この間の噴出物の総量は約1,100万m3と推定されており、御蔵島だけでなく100km以上離れている八丈島でも降灰が確認されている。 【特記事項】 火山の噴火活動は18日のものをピークに収束していくが、カルデラに大きな火道が開いたことにより今度は大量の火山ガスの放出という噴気活動が始まった。 8月中旬から三宅島から離れた関東地方でも刺激臭がするという報告が入るようになるが、9月に入ってからはさらに二酸化硫黄の放出が増加し、東京都は住民の全島避難を決定した。 火山ガスの放出は多い日で1日あたり5万トンにも達した。この火山ガスの放出量は世界でも類を見ない。 火山ガスの放出は2004年7月20日に観測されたのを最後に1日あたり1万トンを下まわるようになり、翌年2月には全島避難が解除された。 しかしその後も火山ガスの放出は継続し、2011年の半ばになってほぼ1日あたり1000トンを下回った。 2013年1月22日を最後に噴火活動は認められていない。 ガスの放出も2016年夏以降は1日あたり数十トン以下の状態が続いている。

2000年3月 有珠山の噴火

【災害名】 有珠山(うすざん)の噴火 【時期】 2000年3月31日午後1時7分 【概要】 3月31日午後1時7分、国道230号のすぐ横の西山山麓からマグマ水蒸気爆発。噴煙は火口上3,500mに達し、周辺に噴石放出、北東側に降灰した。 噴火直後より、内閣安全保障・危機管理室からの要請で札幌行の特急列車を長万部駅で運行を打ち切って洞爺駅へ回送させ、折り返し虻田・豊浦町民を長万部町へ移送する等の避難列車を仕立てた。 翌日には西山西麓や温泉街に近い金比羅山でも新火口が開き、付近に次々と新しい火口を形成した。 火口に近い地域では噴石や地殻変動による家屋の破壊が多発した。 同年8月になると深部からのマグマ供給が停止し、9月以降は空振や火山灰噴出の活動は衰えた。 なお、翌2001年の春頃まで続いた一連の火山活動では「新山」の形成は確認されなかったが、地殻変動の結果、西側の山麓では、噴火前よりも最大で約70メートル地面が隆起することとなった。 【被害状況】 国道230号は噴火によって通行不能となり、後に溶岩の貫入による地盤の隆起により階段状の亀裂が発生し通行不能になった。 金比羅山火口からは熱水噴出により熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失した。 また、広い範囲で地殻変動による道路の損壊が発生した。 なお、噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大した。北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線は跨線橋の落下などのため一時不通となり、長距離及び貨物列車の一部は函館本線経由で迂回運行された。 3月29日から2001年(平成13年)6月30日までの間、道央自動車道の一部区間が路面損壊などのため通行止となった。 熱泥流に襲われ校舎が損壊した洞爺湖温泉小学校は、敷地が砂防ダム用地になったことも合わせて再び移転改築を余儀なくされた。 【特記事項】 2013年現在、比羅山の2つの火口には水が溜まり、池になっていて噴気は観察されないが、西山の火口群は火口辺縁の地熱帯より水蒸気が少量立ち上る状態となっている。 破壊された国道230号は地盤の隆起によって水勾配が変化したため西山麓が水没し、付近の建物が使用不能になった。 この区間の通行は不可能となっていたが、従来の西側に2本のトンネルを掘り、最短距離で内浦湾に抜ける新ルートが建設された。 虻田洞爺湖ICも新ルートの国道に接続する形で移設された。また、不通区間を一部利用した道路も整備された。

1975年4月 大分県中部地震

【災害名】 大分県中部地震(おおいたけんちゅうぶじしん) 【時期】 1975年4月21日午前02時35分 【概要】 九州内陸部を震源とする地震としては、1968年のえびの地震、1975年の阿蘇地震(いずれもマグニチュード6.1)を上回り、当時としては戦後最大規模の直下型地震であった。 気象庁はこの地震に正式な命名を行わなかったが、大分県や研究者によって一般に大分県中部地震という名称が用いられている。 【被害状況】 負傷者 - 22名 住家破損 全壊 - 58戸 半壊 - 93戸 非住家の全半壊 - 104戸 道路・橋梁の損壊 - 185箇所 (1975年(昭和50年)4月24日16時現在、大分県警調べ) 市町村別の被害 庄内町(現由布市) 負傷者 - 5名 建物全壊 - 31戸 建物半壊 - 39戸 道路破損